宮沢りえが貴乃花と破局の真実は?出会いや馴れ初めから結婚まで。美川憲一の関係は?

今回は11歳でモデルとしてデビューし現在は映画やドラマで活躍をされている女優の宮沢りえさんについてご紹介していきたいと思います。

宮沢りえと婚約をした貴乃花

宮沢りえさんは2018年になってV6の森田剛さんと結婚をされましたが、過去に婚約をしたのが貴乃花関です。

貴乃花関は平成はじめの相撲人気を支えた人気力士です。

18歳9か月で大相撲史上最年少の金星を獲得。

弟にわずかに遅れて入幕した兄若花田とともに「若貴フィーバー」と呼ばれ、平成初期の一大相撲ブームの担い手となり、その後も順調に成長していった。

若貴ブームの頃には若貴兄弟が女性誌の表紙を飾り、女性週刊誌や写真週刊誌には毎号のように記事が掲載され、スポーツ新聞も相撲専門の新聞のようになり、コンビニに相撲専門誌が置かれているほどであった。

当時の女性人気はとてつもないものだったそうですね。

女性誌の表紙を力士が飾るのは今では想像もできません。

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破局の際にかけられた言葉

国民的人気を誇る宮沢りえさんと貴乃花関の婚約発表ということですが、残念ながら破局に終わってしまいました。

そのさいに宮沢りえさんは貴乃花関にある言葉をかけているそうです。

宮沢と最後に会った時に言われた言葉は「強い横綱になってください」だったという。

破局に際してけなげな言葉を投げかけるのが泣かせますね。

この後、紹介をしますが破局の真相を知ると余計に切なく感じられます。

当時語られた破局の原因

宮沢りえさんと貴乃花関の婚約は1992年の11月場所前に婚約を発表したのですが、1月場所後に大関昇進が決まったのと同時に破局が明らかになりました。

りえは1992年11月27日、貴花田と手をつなぎ、幸せいっぱいのツーショット婚約会見。“世紀の結婚”と注目を集めたが、翌93年1月25日、史上最年少大関を決めた貴花田が「連絡もとってないし、会ってない」と話し、大騒動に。同27日、りえが破局会見を行い、「残念です」と破談を認めた。

貴乃花関は破局に関して「(彼女に)愛情がなくなりました。」と語り泥をかぶったことで女性と宮沢りえさんのファンを敵に回しました。

破局の真相

貴乃花関が「愛情がなくなった」と語ったことでそれが理由とおもわれたのですが、真相は宮沢りえさんのお母さんが関係しているようです。

宮沢りえさんの母親は、宮沢りえさんをどうしても女優にしたかったそうで、結婚はさせたくなかったそうですね。。。

というのも、貴乃花と結婚することになれば、宮沢りえさんは、相撲部屋の女将になるわけなので、女優の仕事を続けることはできなくなるのです。。。

なので、宮沢りえさんの母親は、貴乃花との結婚を、何がなんでも阻止したかったのでしょう。。。

当時宮沢りえさん女優として飛躍する大事な時期ということもあり、宮沢りえさんのお母さんは何としてでもこの結婚を阻止したかったようですね。

婚約会見の様子

国民的な人気を誇るお二人の婚約会見はどんな様子だったのでしょうか。

二人とも幸せそうな表情が印象的です。

貴乃花関はこの年の1月場所で初めて幕内優勝を果たし、そのことも婚約のきっかけになったのでしょう。

二人の馴れ初め

女優と幕内力士ということで接点はなさそうなお二人ですが、馴れ初めはテレビでの共演なんだそうです。

当時テレビでの共演もあって宮沢りえさんと貴乃花が船上で仲睦まじく食事をしている映像も話題になっていたようですね。

しかも、宮沢りえさんと貴乃花はあだ名で呼び合う程に仲が良かったようですが、馴れ初めというより既に交際している間近…みたいな感じさえしますね。

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テレビに登場した当初から仲睦まじい様子だったようですね。

破局会見での印象的な言葉

上でも触れている通り、婚約会見からわずか2ヶ月後、貴乃花関の大関昇進の際に破局が明らかになりました。

宮沢りえさんもこの2日後に会見を開き破局を認めました。

その会見で宮沢りえさんは「人生最高のパートナーになれなかった」と語っています。

二人の婚約を壊した美川憲一

上でも紹介した通り宮沢りえさんと貴乃花関の破局の原因は宮沢りえさんのお母さんなのですが、実は美川憲一さんが大きな鍵を握っていたそうです。

りえママと「仲がよかった」という美川は、「婚約したときにりえママから電話があった。『やっぱり、嫁ぐところが相撲の世界だから、りえがおかみさんになれる(おかみさんとしてやっていける)ということはありえないと思うのよ』って。それで頼まれてぶっ壊したのよ」と婚約を解消するよう、りえを説得したことを衝撃告白した。

当時、滞在先のロサンゼルスからりえに電話をかけ、1時間ほど話し込んだという。「本当にお嫁に行きたいの?」と聞くと、りえは「行きたい」ときっぱり答えたという。

しかし、美川は「あんたは背負ってるものが重すぎる。あんたも母一人子一人。私も2人の母(生みの母と育ての母)を背負ってきた。そういう家庭に生まれたらしょうがない、運命だから。おかみさんになったら、お母さんどうするの?ずっと面倒みていかないといけないのよ」と語りかけた。

りえは、電話の向こうで「泣いていた」という。

それでも、美川は「あんたもここで、好きだから、って一緒になるんじゃなくて。もう一回考え直して。女優として大成するんだから」と説得したことを明かした。

宮沢りえさんのお母さんに依頼されて説得をしたようですね。

美川憲一さんの言う通り女優として大成しましたが、愛し合っている二人を引き裂くのはやはり残念な気もします。

拒食症の真実

宮沢りえさんはこの会見のあと激やせをしてしまい。拒食症のうわさもありました。

この裏には結婚を邪魔したお母さんとの確執があるようです。

当時のりえは、光子さんの反対を押し切ってまで一緒になることはできなかった。しかし、その後も自分の行動に干渉し続ける母にとうとう耐え切れず、りえはついに家を飛び出す。以来、母と娘はたもとを分かっての別居生活。母の束縛から解放された娘は、公私ともに充実した生活を送り始める。

一時は芸能活動休業の状態でしたがその後、女優として復活。現在の地位を築いています。

ことごとく邪魔された出会い

宮沢りえさんは貴乃花関と破局後、何人かの男性と噂になりましたがやはり宮沢りえさんのお母さんの手によって破局となってしまったようです。

Aさん以前には、婚約解消した貴乃花親方(39才・当時は貴花田)を筆頭に、市川右近(48才)、市川海老蔵(34才)、ISSA(33才)、中田英寿(35才)、中村勘三郎(56才・当時は勘九郎)らと浮名を流したが、いずれも結婚には至らなかった。

なんとしてでも女優として成功させたいというお母さんの強い意志が見られますが、残酷なような気もします。

2009年に結婚

結婚を幾度となく阻止されている宮沢りえさんですが2009年に実業家の方と結婚をしました。

ただ、結婚に向け全く障害がなかったわけではない。りえが8年ほど前に“親離れ”をしてからパリで過ごしていた母・光子さんの存在。「お母さんは2人の交際を全く知らなかった。りえちゃんから“結婚したい人がいる”と言われた直後に妊娠を知らされた。当初は結婚を強く反対していたが、小さな命の前では折れるしかありません」(知人)

宮沢りえさんが妊娠をされているということで、結婚を認めざるを得なかったようですね。

子供は生まれたものの離婚

残念ながら2009年に結婚されたお相手とは離婚となってしまっています。

2012年5月8日、一部のメディアにより離婚することが報じられ、同日に所属事務所からのFAXで離婚協議中であることを認めた。2016年3月18日に正式に離婚を発表した。

お子さんの親権は宮沢りえさんが持つことになり現在でも宮沢りえさんと暮らしているようです。

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