宮沢りえの母親の壮絶な最期とは?若い頃の画像は?死因は?画像あり。枕やモデルか?

女優

今回は11歳でモデルとしてデビューをし現在ではテレビや映画で活躍をされている女優の宮沢りえさんとそのお母さんについてご紹介していきたいと思います。

宮沢りえと一卵性母娘と呼ばれた母親

現在も大活躍をされている宮沢りえさんですが、その絶頂期は国民的スターと呼ばれるほどの人気でした。

その人気の礎を築いたのが宮沢りえさんのお母さん宮沢光子さんです。

「ステージママの操り人形」といった批判をよそに、りえブームに火がついたのも事実。“ふんどしカレンダー”が話題を呼び、17歳の時に撮影したといわれる篠山紀信氏によるヘアヌード写真集『Santa Fe』(サンタフェ)は150万部のベストセラーに。当時、ビートたけしは、「娘をヌードにさせないのが親なのに考えられない」と毒づいたほど。

「ふんどしカレンダー」や人気絶頂期にヘアヌード写真集を出版するなど奇抜なプロモーションが話題になり人気に火をつけました。

母親の壮絶な最期

そんな母・宮沢光子さんですが2014年に亡くなりました。

死に際して宮沢りえさんもそばにいたそうなのですが、その最後の様子を語っています。

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「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」

その死に際は壮絶で息を吸うこと吐くこともすごいことだと教えられたと語っています。

母親の若い頃のエピソード

宮沢りえさんの母親は若い頃、六本木のホステスをしており、そのころの人脈を生かして宮沢りえさんの芸能界入りに大きく影響を与えたようです。

りえママは、六本木のクラブでホステスをしていたときにオランダ人と恋に落ちます。
りえさんを授かりますが、産み落としたりえさんを残して単身オランダへ。

りえママも若い頃は細くてかわいらしかったようですね。

日本に残されたりえさんはタクシー運転手だった祖父の男の子と一緒に
兄弟のように育てられたといいます。

りえママはオランダの家族との折り合いが悪くなり、離婚して帰国。
りえさんを引き取り、東京・大泉学園近くのアパートに居を構えます。

その頃に可愛らしいりえさんを見た知人がりえさんをモデルにすることを勧め、
そこからりえさんの芸能活動が始まります。

「それまで光子さんは、りえを抱えて、保険の外交の仕事をしていた言われてますが、銀座のあまり有名ではないクラブのホステスもやっていたんです。
その関係で知り合ったかどうかは定かではありませんが、六本木の高級寿司屋の旦那と深い関係だったんです。
その店に幼いりえをよく連れていった。そこは、芸能界の幹部連が通う店。たちまち幹部たちの目に留まったんです」(ベテランのマネジャー)
りえがスカウトされ、デビュー時、所属した事務所は”芸能界のドン”と呼ばれた人物の息がかかった「E」というプロダクションだったが、ブレークするや、光子さんの判断で即独立してしまった。

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人脈と行動力を駆使して宮沢りえさんを売り出したようですね。

母親の死因

豪腕と呼んでも違和感のない手段で宮沢りえさんを売り出し、壮絶な最期を遂げた宮沢光子さんの死因は何だったのでしょうか。

死因は肝腫瘍。

元々肝腫瘍の診断を受けていたと言いますが、自宅療養を選んでいたと言います。

りえさんは「最期に、生きるということの美しさと、すさまじさと、その価値を教えてもらいました。」とコメントしています。

肝腫瘍が死因といことです。ホステスをしていたそうなのでお酒を飲む機会も多かったことも関係があるかもしれません。

宮沢光子の画像

豪腕を発揮した宮沢光子さんですが、画像はあるのでしょうか。

やはり年齢は感じますが、宮沢りえさんによく似ているように感じます。

特に表情は宮沢りえさんに通ずるものがありますね。

母親死亡後の宮沢りえ

宮沢りえさんは宮沢光子さんの生前、宮沢光子さんの意向により、交際をしている男性とことごとく破局をしています。

宮沢光子さんは2014年に亡くなった4年後の2018年V6の森田剛さんと結婚をされています。

宮沢りえに枕営業の戦略

驚くべきことに宮沢光子さんはその奇抜で大胆なプロモーションだけではなく宮沢りえさんに枕営業もさせようとしていたそうです。

母親が娘に枕営業をさせていたなんて逸話もあります。

ビートたけしさんの部屋に送り出させた事は有名な話ですね。
表に出ないだけで、もしかしたら他にも枕営業をさせていたのかもしれませんね。

「’92年にりえと即席ラーメンのCMで共演したビートたけしもその一人。海外ロケで泊まったホテルに深夜、突然りえが『ママに言われて来た』と現れた。たけしはりえを傷つけないようにモッコリさせながらも『早く帰って寝なさい』と帰したんです。母親自ら娘の“枕営業”を勧めるわけですから、さすがのたけしも、りえママのパワーに脱帽でしたよ

売り出しのためには娘を積極的に枕営業に出すのは恐ろしさすら感じます。

モデルでデビュー

宮沢りえさんはモデルとして芸能界にデビューをしています。

東京・大泉学園近くのアパートに居を構え、ここで可愛いりえを見た友人のススメで、モデルの仕事をはじめる。

当時のライバルは同学年の後藤久美子だった。彼女はゴクミの二番手としてゴクミが蹴った仕事をこなしながらモデルとしてステップアップ。映画「ぼくらの七日間戦争」や「三井のリハウス」のCMを通じて名前が知れ渡った。

母親の宮沢光子さんのもと、後藤久美子さんをライバルに着実に力をつけていったようですね。

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