菅田将暉の父親がアメブロでブログを開設。アムウェイと会社の関係は?画像あり。

今回は、菅田将暉さんの父親について見ていきたいと思います。

父親は?

親で経営コンサルタントの菅生新(すごう・あらた)

1959年8月8日、高知県生まれ。

学歴:清風南海高校→同志社大学卒

藤沢薬品工業株式会社を経て、SMI(※)の代理店として独立。
1991年と1992年SMI世界大会で、2年連続「セールズ世界大賞」を受賞。
現在、講演、執筆、幹部教育などに活躍。
主にベンチャー企業のビジネスコンサルタントとして、起業からIPO(株式公開)までの指導・顧問をする。

※SMI(サクセス・モチベーション・インスティチュート)
「人間の潜在能力には限界がない」という哲学を基に、1960年に創設され、以来四半世紀に渡り、世界最高の能力開発組織として発展。
現在世界3000社の代理店を持つ教育機関として世界80数カ国で活用されている。

菅田ではないということは菅田さんは芸名なのですね。

ブログを開設した?

親で経営コンサルタントの菅生新(すごう・あらた)氏が2018年1月31日、アメブロにてオフィシャルブログを開設した。

ブログを開設するなんて若々しい父親ですね。

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テーマは?

将暉さんは上段だそうです。

「ほのぼの癒しの家族愛」をテーマにスタートしたアメブロ。

「いざ、出陣!」のエントリーで更新したアメブロでは、「三兄弟の写真館での懐かしい記念フォト! 長男『大将』の中学入学、三男『新樹(アラキ)』は入園、そして次男『健人』…我が家お気に入りの一枚です!」と、長男・菅田(本名:菅生大将)の中学1年生の頃と次男、三男が並ぶ貴重な兄弟ショットを公開した。

「この3人が二月は それぞれ 新しい挑戦で頑張ってます! 大将は単独初ライブ、健人は就活真っ只中、新樹は大学受験、と」とつづると、「準備万端、真摯な努力と明確な目標設定…ゴール光景のイマジネーションよく完全燃焼へ頑張れ! 結果は後からツイテクル!」と3人へエール送った。

我が子の活躍を綴っているようですね。

なんだか心温まるブログになりそうで良いですね。

著書も発刊する!?

なお、菅生氏は菅生家を描いた著書「スゴー家の人々」を発刊。2月10日にはイベントも開催する。

ブログだけに留まらず、活動の範囲が広いですね。

アムウェイに関係がある?

菅田将暉の父親は実はアムウェイをしているとの噂がある。

アムウェイのとは、ネットワークビジネスという手法で独自の製品を販売している会社なのですが、日本では、「マルチ商法」「ネズミ講」なんて言われ方をしている会社です。
上記のような言い方をすると、ちょっとやばい会社のように聞こえますが、そんなことはなく、アメリカではサッカーチームのスポンサーを務めるほど真っ当な会社です。

しかしこの噂は本当ではないようです。

アムウェイの評判はあまり良くないようだけれど、有名になればありもしないデマが飛び交うものですね。

なぜデマが出たのか?

菅生さんはコンサルのセミナーなども開催しており、その自己啓発セミナーというのが、「怪しそう」と思った人が「アムウェイ」っぽいと言ったのが始まりではないかと思います。

芸能界ではよくある、似ているから同じようなものと勘違いされてしまう、といったことからアムウェイと関係があるのではないかと噂されてしまったようですね。

役者もしていた?

大学時代は役者もしており、「水戸黄門」や「大奥」など有名作品にも出演していました。

ブルース・リーの影響を受けて学生時代に少林寺拳法部に入部し、同時に剣道も習い始め、これが時代劇役者へと繋がったと語っています。

若い頃から役者をしていたのですね。

菅田さんも俳優ですから、その遺伝子から来ているということなのでしょうね。

会社員(サラリーマン)だった?

大学卒業後は製薬会社の営業として働いていました。

そしてこの会社の営業社員1200人の中でトップの成績を収めていたそうです!

凄腕の営業マンだったのですね。

それも勤めていた会社は東証一部上場していてトップクラスだったそうなので、その中で成績トップとは凄いですね。

独立して社長になった!?

菅生さんは30歳を過ぎた頃、今の現状に満足できず、独立して経営者となります。

独立して始めた仕事は経営コンサルタントで、ベンチャー企業を中心に起業から株式公開までを指導しています。

「サクセスファイターズ」として定期的にセミナーをおこなているようです。

さすが、トップクラスの企業で成績トップなだけのことはありますね。

独立してしまうその力量が凄いですね。

「勉強を頑張って父の弟は医者になって、父はコンサルタントをしていて、今もしゃべっても追いつかないくらい回転が速い」

菅田さんは上記のように取材に答えていたそうで、父親は相当頭が切れるんでしょうね。

SMI世界大会で、2年連続「セ―ルズ世界大賞」を受賞

SMIの代理店として独立。1991年と1992年SMI世界大会で、2年連続「セ―ルズ世界大賞」を受賞。

SMIとは「サクセス・モチベーション・インスティチュート」の略で、現在世界3千社の代理店を持つ教育機関なんです。

2年連続というのも凄いですね。

私、凄いという言葉の連発です。

菅生氏とは、いかなる人物なのか。本人のホームページ(HP)によると、同志社大卒業後、大手医薬品メーカーを経て、「世界最高の能力開発組織」の代理店として独立。現在は経営コンサルタントとして、自己啓発セミナーなどの講演で全国を飛び回っているらしい。HPには「あなたは今も空を飛べますか?」など刺激的な言葉が並んでいる。

父親の能力の高さは相当なものとわかりますが、その「世界最高の能力開発組織」の代理店をやっていらっしゃるというのも頷けますね。

執筆活動もされている?

ベンチャー企業を中心に経営指導をされていて、本も出版されていました。

本では独自の成功論を展開し、

成功とは自分が立てた目標をひとつずつ実現し続けること

成功の本質をついた言葉ですね。

見習いたいものです。

芸能活動も!

実は経営コンサルタント業と並行して、芸能活動もしているんです!

大阪ではテレビ出演やラジオのパーソナリティも務めています。

テレビ局の関係者が言う。

「菅田の父親は菅生新(すごうあらた)といって関西ではテレビやラジオのパーソナリティとして知られています。もともとは製薬会社の営業マンだったのですが、30歳を過ぎて経営コンサルタントに転身、前後して関西のローカル局で『菅生新のサクセスファイター』などの番組を持っていました」

大阪では有名人だそうですね。

行動範囲が広く凄いです。

事務所からの悩みごとがある?

実は、菅生さんはかなりの出たがりで、菅田将暉さんがブレイクするまでかなり積極的に芸能関係の仕事もしていました。

しかし、菅田さんがブレイクすると菅田さんの事務所から露出を控えてほしいと頼まれたらしいです。

露出を抑える変わりなのか、ブログを開設されましたね。

いろいろとやりたいことが多いのでしょうね。

「実は新潮が直撃する前に、別のメディアも菅生氏に取材をかけていたんです。その時もマシンガントークが止まらなかったらしい。結局、事務所から“ストップ”がかかり、その取材はお蔵入りになった。事務所としては、菅田をテレビや映画界をしょって立つ大物俳優に育てたい。パワフルな親父が何か“変なこと”をベラベラしゃべらないか、本当に頭を悩ませているらしいのです」(芸能プロ関係者)

頭の回転が速い分、マシンガントークとなってしまうのでしょうね。

菅田さんの事務所からしたら思わぬことも言われてしまったら困ってしまいますね。

暴露本も出版!?

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菅田の実の父親が、突然子育ての暴露本『スゴー家の人々~自叙伝的 子育て奮闘記~』(トランスワールドジャパン)を出版したことで、菅田の所属事務所関係者は頭を抱えているという。

「週刊誌などで菅田のことについて積極的にコメントしているため、菅田のイメージダウンにならないか、関係者の間では心配されてきました」

しかし、同書を読んでみると、菅田のデビューに尽力したのは、まさしくこの新氏だということがわかる。

暴露本というとイメージダウンというように考えてしまいがちですが、そうではなく、関係者の心配はなかったということで良さそうですね。

そういった配慮が父親にはもともとあったのかもしれませんね。

年収は?

これだけ活動範囲が広いと年収が気になりますね?

ちなみに一般的なコンサルタントの方の年収は700万円ほどと言われていますが、菅生さんの場合はその5倍から10倍は稼いでいるのではないかと言われています。

これだけ活動していらっしゃれば、当然といえば当然の収入なのでしょうね。

息子・菅田さんへの処世術は?

「菅田さんのお父さんは、ビジネスコンサルタントをしている方。職業柄いろいろな業界の知り合いが多く、普段から社長さんたちの集まる食事会やパーティーによく連れていかれたそうです。
そこで自然と社会性を身につけ、大人との接し方を覚えたんですね」(芸能プロ関係者)

挨拶から始まり、みんなが自分を応援したくなると、みんなが集まってきて、活躍の場が広がるというような、考えだそうです。

「たとえばね、息子が中学校の夏休みなんかの時に、セミナーの受付をさせていたんです。小さい頃から会社の社長と話をして人間観察しろよ、とね。世の中を動かしている人を観察しなさいという教育です。有名なところでは、HISの澤田秀雄社長なんかにも会わせている。直接の俳優修業ではありませんが、自分という人間を“経営”しろ、そして自分という株を上げろとは言うてました」(同)

父親には人脈があったので、息子に対しても良い教育が出来たのですね。

羨ましい環境にあったのですね。

息子・菅田さんの芸能界入りについては?

菅田将暉さんの芸能界入れには、「父親が大賛成だった」と言います。

父親も役者をやっていましたから、父親の影響が大きいのかもしれませんね。

吉田拓郎の大ファン!

2017年7月21日にデビュー20周年を迎えた人気デュオ「KinKi Kids」とシンガー・ソングライターの吉田拓郎(71)がMCを務め、96年10月から01年3月まで放送されたフジテレビ系音楽バラエティー「LOVE LOVE あいしてる」が21日、に「―16年ぶりの復活SP」として放送され、俳優で歌手活動も行う菅田将暉(24)がゲスト出演した。

菅田将暉さんは歌も歌いますからそういったつながりで、ゲスト出演したのでしょうね。

念願の吉田拓郎に会えた!

拓郎ファンの父親の影響で小さい頃から拓郎の曲を聴いて育ったという菅田。「この世界に入って唯一、オヤジに言われてたのが『俺を拓郎に会わせろ』だった」と話し、番組タイトルにちなんだ「LOVELOVEなもの」として「吉田拓郎」を挙げた。そして、父親の年齢を問われると、観覧席に向かって「オヤジ、何歳やっけ?」。なんと、菅田の父親が観覧のお客さんに混じって座っていたのだった。

堂本光一(38)に「お父さんは拓郎さんのことが大好きで…」と声をかけられた菅田の父は「(ギターのコードは)全部、左手で覚えてます」と“拓郎愛”を語ったが、当の拓郎は「ほどんど覚えてない」と話し、笑いを誘った。

菅田将暉さんは父親を吉田拓郎さんと合わせたようなものなので念願が叶いましたね。

親孝行ができて良い機会となったのではないでしょうか。

拓郎の曲は世代を超えて心に響くという菅田は「(父親から)うんちくといいますか、(大ヒット曲の)『結婚しようよ』の『髪が肩までのびて』の時の写真はこれだよとかって聞かされていたので、今日は特別な日です」と拓郎との共演の喜びを語り、オススメの曲として「マーク2」(ツー、実際はローマ数字の2)や「外は白い雪の夜」などを挙げ、その理由も熱く語った。

そんな菅田に拓郎は「君は少し変わってるね」「ロマンチストだね」などと素っ気ない言葉をかけたが、終始笑顔でうれしそうだった。

自分の息子と大ファンの吉田拓郎さんが一緒に歌っている共演しているということが、父親にとって感無量だったのではないでしょうかね。

菅田将暉と吉田拓郎はラジオ番組で共演していた!

俳優の菅田将暉(24)と、シンガー・ソングライターの吉田拓郎(70)が2017年3月8日、ニッポン放送で4月から始まるラジオ新番組の発表会見に出席した。菅田が、父親が吉田の大ファンであることを明かし、吉田も「ご不幸な家族だな」と皮肉で返す軽妙なやり取りがあった。

この時、父親が吉田拓郎さんの大ファンだということを述べていたのですね。

それでKinkikidsの番組で会うことが出来たと考えるのが自然な流れでしょうかね。

自ら助産婦に!?

1993年2月21日、妻・好見さんの実家で、菅生家の長男として誕生した菅田。取り上げたのは助産師ではなく、菅生さん本人だった。

「完全な自然分娩です。事前に性別の検査もしていなかったので、元気な男の子の誕生は本当に嬉しかった。私がへその緒を切ると、長男は『ふえぇ!』と大きな声で泣き出しました。あの瞬間の感動は、生涯忘れられません」(菅生さん。以下「」同)

その後、次男、三男と3人兄弟に恵まれる菅生さんだが、全員自宅出産にこだわった。下の2人の子供に至っては妊娠発覚から出産まで病院に一度も行かず、母子手帳さえなかったという。

「命がけで出産に挑む母親の姿や、生命の誕生という奇跡を、病院任せにせずしっかりと子供に見せてやりたかったんです。下の子の出産の際、長男はずっと母親の傍にいて『お母さん、頑張れ!』と声をかけ続けていました。うちは家族仲が非常にいいのですが、それも誕生の瞬間から全員で立ち会ったことが大きな要因だと思います」

それにしても、母親としては助産婦がいなくて不安があったのではないかとおもうのですが、それは父親の信頼もあってこそ、助産婦はなくても3人とも無事に出産ができたということなのでしょうね。

新さんの両親は離婚していた!?

父親となった菅生さんは、まず「親の役割」について自らに問いかけた。複雑な生い立ちゆえに、理想の父親像が定められなかったからだ。

「私が小学5年生の時、両親は離婚しているんです。原因は父親が愛人をつくったこと。両親の修羅場もこの目で目撃しており、父親という存在にいいイメージがなかった。幸いにも素敵な妻に出会い、自分自身も父親という立場になった時、最初に考えたのは、『ぼくならどういう父親が欲しかったか』ということでした。それは、仕事も家庭も全力投球してくれる人だろう、と。だからこそ、私は子供を理解し、子供を尊重し、子供の将来を豊かなものにするために全力を尽くそうと決めました」

そんな思いから、父親として、助産婦までをも買って出たのですね。

たくましい父親に見えますね。

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